考察

日記

女心

脚本を書いたことがある。

書く時には登場人物は空想ではなく実際に映像化される前提で女優を想定して書いていた、それはほかの人とは違っているのかもしれないが私はそうしていた。

実際に本は映像化していないし、書いてから時間がたっているので登場人物を想定して

いた女優さんやタレントさんの容貌の変化を見て、書いていた時の印象と変わってしまっているのに驚いてしまう。特に自分から顔を変えてしまう女性や体重を減らしてしまう人には困ってしまう。たぶん映像に残る側の発想というのはつくり側の考えと違うのだろうと思う。昔キッコーマンの料理番組で全国の民家を訪ねて地元料理を紹介する番組で出演者が「このままの家の状態でいい、自然な感じがいいのでそうして欲しい」と相手側に要望しても「畳だけ変えてしまうんですよ」と笑いながら言っていたことを思い出す。作り手側と出る側では考え方が違うが、変わらないのが本当は正しいと思う。

出るからという前提で容貌や体重を変えるのに、背中を押してしまうのははなはだ迷惑な話だ。出る側は「きれいになりたい」作り手側からは「それは詐欺」な話だと思う

迷惑だと思う、困ってしまう前に使うのをやめてしまう人がいるでしょうね