考察

日記

自立

もしあなたが役者になりたいと思ったらどうしますか?

自分だったら学校の演劇部に入る、商業演劇に入る、プロの役者のボーヤになって修行する、どれを選んでも最短距離で役者の道に入れるだろう、ただ売れるか売れないかはわからない。

私は昔脚本を書いていたのを知った男が私のことをストーカーするようになった

最初は喧嘩を売られているのかと思ったら、どうやら喧嘩ではなくお願いらしい

でもここで不思議に思うべきだ。私には役者への道を開くことはできないからだ、いやそれすら理解できない素人なんだと思った

その行為の最初から「人に頼ってくる」という行為を分析すれば、自信がない、自分はできない、自分は馬〇だと自分で自分のことを理解しているのだろう

最近の事件も同じように「人に頼っている」なにを?自分では死ぬことができないから死刑になりたい、だから人殺した、これは死ぬことを「人に頼っている」というだ。

「人に頼る」と「人に命令をされる」ということは同じ立ち位置にあるのだと思う

事件を起こした人も、私のストーカーにしても「会社員」として働いている、仕事は上司から命令をされまたは決まったことを順番にこなすということは一見違っているように思えるが同じなのだ。自信がないのだ、自分で率先して新しいことをチャレンジする勇気がない、自分はダメだ、自分は馬〇だと自覚すると体も心も動かなくなってしまうものだ、恐怖で身動きできないが、人から指示を受けると「心」に余裕ができ、たとえ仕事が失敗しても人のせいにすればいいので、心も身動きもできるようになる。

ストーカーは自分の事を話しても誰も聞いて興味をもってくれないが、私のことを話しをすると相手が耳を傾けてくれるのだろう、いいふりをしたいのは昔からだ。それはまちがった自立方法ではないだろうか

この男とは20年も一言も話をしたこともない人間だ、この男の嫌がらせで何人も人が会社を辞めていった、私が辞めた時に間違いなく喜んだはずだ。自分だけはこの会社に残り新しい出会いを求めて求人活動をする勇気がないからだ、だから会社の売り上げに敏感だったと思う。

この男は「人に頼る」を「人の命令を聞く」を実践していると想像する。自分で何かをするということはできないはずだ。でも付きまといは続いている、たぶん誰かに入れ知恵をされているのではないかと思う

入れ知恵をする人もされるこの男もどっちも素人ではないかと思う、私も法律には詳しくはないけれども脚本を書いたらすぐに映画になるということはない、出版権がないものは映画にはならないし、著者である私の許可なく出版権が行使されることなど法律上ありえないのだ。私に出版権を買いたいという人などいない、でも仕事が欲しい役者はそんなこと関係なく群がってくるので、入れ知恵するものと実行するストーカーは単純に行動をする素人なんだと思う